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武士道

こんにちは、L.P.です。


新渡戸稲造の「武士道」を読み始めました。

武士道

読み終えたら、詳細を書きたいと思いますがとりあえず。

そもそものきっかけは、4年半ほど前の転職の際、
1ヶ月の有給消化で岩手県に復興ボランティアに行った帰り、
レンタカーを借りて宮沢賢治と新渡戸稲造の記念館に行きました。

その際、新渡戸稲造記念館で感銘を受け、読んでみようと思いました。
が、一度少し読みかけるも、読まずに来てしまいました。

また、現在読みかけの本の著者が「武士道」を信奉しており、
その本が自分にとても響くところがあり、
やはり武士道を改めて学ばねばと思いました。

そしてさらに、私には武士の血が流れていることもあります。
もっとも、武家の家を受け継いでいるわけではないので
詳細は分かりませんが、
私の母方の祖母(明治生まれ)は武家の娘だったらしく、
母曰く、武家屋敷に住んでいたとのことです。

そんなこんなで、ようやく「武士道」を読み始めたところですが、
自分に限らず日本人には多かれ少なかれ
「武士道」の教え、道徳といったものが
備わっているのではないかと思います。

ただ、そういったものが失われつつあること、
そして、正しいこととわかってはいるものの
正しい行いができていない人が
私を含めて増えてきているのではないかと感じており、
今さらながら、学んでみたいと思っています。

では。

バカになる

L.P.です。国内出張などで少しさぼってしまいました。

私の人生でもっとも影響を受けた先生は小学校5,6年の担任のT先生です。

T先生はよく「バカになれ」と言っていました。

これは、遊ぶとき、レクリエーション活動をするときなどに
思いっきりバカになってやれという意味でした。

中途半端に恥ずかしい気持ちなどあると
思いっきり楽しめないので、
恥ずかしさを吹き飛ばすほど思いっきりバカになれ
という意味でした。

大人になるにつれてこういうことができなくなっている自分に気づきました。
周りが盛り上げているさなかに、
これを少し離れたところから冷静に、
少し冷めた目で見ている自分に気づきました。

きっと自分の中に心のバリアや抵抗や恥ずかしさなどがあると思います。

一方で、先日高校時代の親友達と飲んだ際は、
無意識のうちにというか
自然に「バカになっていた」というか
無理をすることなく、
自然に素のままに楽しんでいたら
結果的に「バカになっていた」という感じでした。

この違いはなんだろうか?

信頼関係、心を許せる関係、無防備に安心できる関係
こういったことかなと思います。

では。

価値観の相違

こんにちは、L.P.です。

昨日は、仕事か人かという迷いについて書きました。

今日は価値観の相違の迷いです。

例えばこんなときどうしたらいいのかといつも迷います。

実際にあるかどうかわかりませんが、、、

混んだ電車で窮屈に座っているとき、
日本人はおそらく隣の人にぶつからないよう
気を使って座ると思います。

一方、狩猟民族、多民族国家のアメリカ人の場合、
日本人からするとふてぶてしく足を広げて座ったりします。
(みんながみんなそうだとは思いませんが。。。)

ただ、アメリカ人の場合それが悪いことだと思っておらず、
もし、きついので足を閉じてくださいと言えば、
閉じてくれると思います。

つまり、相手がどう思うかについては、
人種も民族も違い、
それ以前に
他人がどう思うかなんて分かりっこないとお互い信じていれば、
相手がきついと感じているのではないかと下手に想像するより、
お互い自由に座って、
きつければお互いにそれを伝えて対応するという価値観で
社会が成立しているのではないかと思います。

きついと言って、お互い喧嘩になれば話は別ですが、
言われれば、お互い紳士的に対応するというのであれば
それはそれである意味では合理的ですよね。

で、これって逆に言うと、きついのにそれを言わないで
あとで文句言う人に対して、
言わない方が悪いということでもあると思います。

でも、アメリカ人が足を広げて
隣の日本人がきついと思っても、きっと言わないですよね。

で、この時って
言わない日本人が悪いの?
それとも、気を使わず足を広げるアメリカ人が悪いの?
って、思うんです。

まあ、第三者的には、
どちらも価値願が違うんだから
一概にどっちが悪いとも言えないよねってことになると思います。

でも、当事者だったとき、どうすればいいのでしょうか?

もしこれを議論すれば、
結局はどちらの価値観が正しいかという戦いになると思います。

すると、それって結論出ないし、
かといって、放っておくというのもなんだし。。。

ということで、こういう場合どうすればいいんだろうと迷ってしまいます。

では。

仕事か人か

L.P.です。

かねてよりどうしたらよいかはっきりわからないことのひとつに
仕事か人かというのがある。

つまり仕事より人間関係の方が大事ではないかと思う一方、
仕事においては仕事(プロジェクト)の成功が優先と考えている。

乱暴に言ってしまえば、仕事の成功のためなら
同僚にきついことを言おうが、
プライドを傷つけようが、
恥をかかせようが、
やむを得ないと思っている。

もちろん望んでやるわけではないし、
うまい言い方ができればそれに越したことはないが、
一朝一夕にうまくできるわけではない。

かといって、進行している仕事において
うまく言えるように成長するまで待つことはできない。

うまく言えないから「何も言わない」選択肢もあると思う。
しかし、仕事の成功のためには、
「何も言わない」ことは卑怯であり、
「言わなくてはならない」と考えている。

例え、相手が不快に思おうが、
自分に反感・攻撃が向けられようが、
義を貫くということは「言わなければならない」ことだと考える。

しかし、常にこれで正しいのだろうかと迷い、葛藤がある。
少なくとも、これで嫌な役回りを負うことになり、
相手にも不快な思いをさせ、
本当によかったのだろうかと思う。

このような場合、どうすればいいのだろうか?

正しいことをする その2

こんにちは、L.P.です。

先日「正しいことをする  Do the right things」を書きました。

「正しいことをする」って、当たり前ですよね。

でも、当たり前すぎてできていないし、
当たり前すぎるけど、大事なことですね。

今日、改めて思いました。

「リーダー」たる人、「リーダーシップ」を発揮する人、
これって、「正しいことができている人」ですよね。

そして、役職上「リーダー」というか「長」がつく人で
「正しいことができていない人」がいると
その組織はいい組織にはならないでしょう。

また、「正しいことをする」って、
当たり前だけど、勇気がいったり、恥ずかしかったり。

でも、リーダーが「正しいことをする」と、
自然とメンバーも正しいことをやりやすくなりますよね。
そして、みんなが正しいことをすると、
正しくないことをすることが、勇気がいったり、人目をはばかったり。

とっても当たり前のことを書いているけど、
当たり前のことを、当たり前に出来るようになりたい。
正しいことを当たり前に出来るように。

では。
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           L.P. (Learning Process)             

Author:           L.P. (Learning Process)             
日々、自分の人間性を高めていくために奮闘している中年男です。

2007年、会社でパワーハラスメントを受け、カウンセリングに通う。
これを機に自分を見つめ直し、カウンセラーから教わったT/A、アサーションをきっかけに様々な心理学、自己啓発を学び、元気を取り戻す。
自己啓発、心理学、スピリチュアルなど様々なセミナー、様々な本を読み漁るも、全く成長の実感がつかめず歳だけを取っていく。
8年後の2015年、ほんのわずかながらも成長を感じると同時に、改めて非常に時間のかかるラーニングプロセスであると実感し、今日も目に見えないながらもわずかな成長を信じて、日々のラーニングプロセスを記録としてブログに刻む。

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