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抑圧

こんにちは、L.P.です。
ちょっとドタバタしてさぼってしまいました。

先日、会社でちょっとした飲み会がありました。
そこで、上司がこういいました。

「このメンバーのうち、
本当の意味で、うちの会社のDNAを持っているのは俺しかいない」

ちなみに、この方はうちの会社の花形部門にいた人です。

まあ、私は中途採用なので持っているわけないので、
気にならなかったのですが、
他のメンバーは大学出てからうちの会社にいるプロパーです。
みんなこれを聞いてどう思っているのだろうかと思いました。

私がプロパーなら、怒っていたことでしょう。

結構、上から目線というか、高圧的というか、裸の王様というか、
こういう人が多いように感じています。

それって、自分が抑圧されることに対する抵抗感が
大きいからだと思います。

そして、自分も将来このような態度をとってしまう素質が
十分にあると思っていて、恐ろしい気もしています。

でも、だからこそ抑圧すること、抑圧されることに
敏感なんだと思います。

生まれつき寛大な人は、
そういわれても腹が立たないのかもしれませし、
将来、そのような態度をとることもないのかもしれません。

それはそれで生まれつき、あるいは幼いころの養育環境が
良かったので、おめでたいことだと思います。

しかし、そういう人は、第三者が抑圧し、抑圧されていることに対して
何とも思わないでしょう。

その意味からは、抑圧してしまう素質を持っている人の方が、
抑圧されることに対して敏感な分だけ、
どちらに対しても敏感に気がつくことができるでしょう。

そう考えれば、それはそれなりに良かったとも思えます。

そして、何よりも大切なことは、
将来自分がそうならないということです。

将来の自分が過去の自分から、
怒られないように、
そして、「お前、昔、そうやって高圧的な態度はダメだと言ってたじゃないか」
と言われないようにしたいと思います。

では。
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身を修める

L.P.です。

最近、身を修めることの重要性をひしひしと感じます。

この9年間、どのように自分を磨いていこうか、
人間性を高めていこうかと
自分なりに努力してきたつもりです。

何をしてきたかというと、

心理学
コーチング
成功哲学
スピリチュアル

など、勉強してきました。

それはそれで重要なことで、
それがあって、今の自分があると思っています。

といっても、ようやくスタートラインにつく
準備が整ったというレベルですが。

この勉強によって、

こころのしくみ
精神のしくみ
人間の力が及ばない大いなる力のしくみ

など、基礎的な知識を多少学ぶことができました。

こういった基礎を学び、スタートラインに立った今、
改めて身を修めることの重要性、
これこそが人生の修行であり、
自分がこの9年間求めてきた
自分を磨くことや人間性を高めることへの
具体的方法論だと理解することができました。

いくら数学の方程式を覚えても
ハーバードMBAで経営理論を学んでも
立派な生きた経営者になれるわけではありません。

しかし、基本的な方程式や理論を知らなくては
経営者は務まりません。

教育学部を出ても
いい先生になれるわけではありません。
しかし、教育理論や指導要領を知らなくては
先生は務まりません。

その意味から、最近ようやく基本的なことが分かり、
今後、何をするべきかがわかってきたように思います。

それこそが、まさに「身を修めること」です。
そしてこのことは、最近何度も繰り返す、
「当たり前のことを当たり前に正しくすること」
です。

また、身を修めるためには、
古来より伝わる叡智を学ぶことだと思います。

現代の我々にとっては新渡戸稲造の「武士道」もそのひとつです。
そして、中国古典の四書五経もです。
論語、大学、中庸、孟子の四書は名前をきく人は多いと思いますが、
実際に読んだことがある人はさほど多くはないのではないでしょうか。

今日、中国人の同僚に聞いたところ、
中国でもこの100年は勉強されなくなったとのことです。
日本でも同じではないでしょうか?

幕末の志士達は剣術を磨くとともに、身を修め、学問を修めていました。
学問とはこれら古典なのです。

積読の山が大きくなる一方にもかかわらず、
論語の入門書などいくつか注文してしまいました。

今後は身の修め方を学ぶべく、古典も勉強しつつ、
身を修める修行を積んでいきたいと思います。

では。

賢者の書

こんにちは、L.P.です。

少し前、「賢者の書」を読みました。2回目です。

賢者の書

著者の喜多川泰さんは、大好きです。
何冊も読んでいます。
涙が止まらなくなる本もありました。

さて、この賢者の書の内容を自分の心に刻む意味でも
備忘録の意味でも、以下要約します。

1.「行動」
行動の結果は、成功でも失敗でもない。
結果という経験をどう生かすのかを考えること。
この経験のために多くの行動を起こすこと。

2.「可能性」
人間には無限の可能性がある。
自分には世の中に新しいものを生み出す
無限の可能性があると気づいて行動を起こすとき、
宇宙を創り出した大いなる力が手助けしてくれる。

3.「自尊心と他尊心」
自分がかけがえのない存在であり、無限の可能性を持った
唯一無二の存在であると言い聞かせ、
自尊心を高める必要がある。
同時に、世の中のすべての人間も
ひとり一人が大いなる力を内に持つことを許された
無限の可能性を持つかけがえのない存在である。
そのことを知り、他人を尊重する他尊心を持つ。

4.「目標」
どんな人間になりたいのか、真剣に考える。
自らの理想の人間像を追及することにより、
驚くほど強い意志の力を人間は身につけることができ、
何をやるべきか自ずと決まってくる。

5.「今」
人生は一冊の伝記を完成させるもの。
今日一日を成功者としてふさわしい過ごし方をする。
過去のページを後悔したり、
書かれていない未来の白紙のページを不安がらずに、
貴重な今日一日を過ごす。

6.「投資」
自らの人生という貴重な財産を、
時間という財産を投資する。

7.「幸福」
人間は何を探して生きるのか?2つに大別される。
(1) 自分を幸せにすることを探す人々
(2) 他人を幸せにすることを探す人々
世の中の成功者は後者である。

8.「言葉」
人生は言葉によって作られている。
自分が一番よく聞くのは、
自分の心の言葉である。
将来は、自分が使った言葉通りの人生が待っている。

9.「感謝」
「ありがとう」と言える生き方をすること。

10.「与える」
欲しいものを手に入れるには、
手に入れたいと思うものを
与える側にならなければならない。

11.「誕生」
人間は何度だって生まれ変わることができる。
昨日までの愚者は、
今日、賢者として誕生する可能性を持っている。

以上。
では。

勇と仁

L.P.です。

今日は、誕生日でした。

今読んでいる「武士道」ですが、岩波文庫の矢内原忠雄訳で、
かなり難しく、なかなか読み進みません。
半分まで読みましたが、本日現代語訳の別のものを注文しました。

さて、今日読んだ「第四章 勇・敢為堅忍の精神」を読み、
自分は「勇」が足りないなとつくづく感じました。

「勇とは義(ただ)しき事をなすことなり」

とのことで、まさに最近もっとも心に刺さっている

「正しいことをする」

である。

加えて、「常に勇敢なる人は常に沈着である。」とのことで、

「危険もしくは死の脅威に面しても沈着を失わざる者、
例えば差し迫る危険のもとに詩を誦(よ)み、
死に直面して歌を吟ずる者、
かかる人は真に偉大なる人物として吾人の賞嘆するところであり」

とのことである。

肝心なところでビビってしまうような自分は「勇」なきかな。。。

また、「第五章 仁・惻隠の心」では、

「仁は柔和なる徳であって、母のごとくである。」

とのこと。

また、よく聞く「武士の情け」も仁とのこと。

「弱者、劣者、敗者に対する仁は、
特に武士に適(ふさ)わしき徳として賞賛せられた。」

とのことだが、

このような「仁」も全くもって身についていないと感じました。

また、仁の章の最後に、以下の文章があり
そのうち「歌詠み」の趣味でも持ちたいなと思いました。

「戦闘の恐怖の真唯中において哀憐の情を喚起することを、
ヨーロッパではキリスト教がなした。
それを日本では、音楽ならびに文学の嗜好が果たしたのである。
優雅の感情を養うは、他人の苦痛に対する思いやりを生む。
しかして他人の感情を尊敬することから生ずる
謙虚・慇懃(いんぎん)の心は礼の根本をなす。」

以上。
では。

人望

L.P.です。

最近の趣味と言いますか、何と言いうか、、、

「本探し」

です。

全く本を読んだことのなかった昔に比べれば、
圧倒的に本を読むようになりましたが、
でも、読むのははやり苦手です。

知識欲はあるので、読みたい気持ちはありますが、
読むのが遅いのでなかなか読めません。。。

にもかかわらず、Amazonとは便利なもので
類似の本がいろいろ出るので
いろいろと興味があるものを芋づる式に調べます。

特にレビュー数が多いものにいつも注目します。

今日見つけた本はそのうち読むことになったらご紹介しますが、
「人望」についての本です。

レビューを読んだだけですが、ここに惹かれました。

「人望とは、高次の常識を実践していること」

とのことです。

これって、最近もっともはまっているというか、
心に響きまわっている

「正しいことをする」

と同じ意味ですよね。

正しいことができないリーダー。
正しいことが通らない組織。

最悪ですけど、ある意味どこにでもあることですね。

だからこそ、

「正しいことをする」
「当たり前のことを当たり前にする」

そのことができるよう、心がけていきたいと思います。

では。

武士道

こんにちは、L.P.です。


新渡戸稲造の「武士道」を読み始めました。

武士道

読み終えたら、詳細を書きたいと思いますがとりあえず。

そもそものきっかけは、4年半ほど前の転職の際、
1ヶ月の有給消化で岩手県に復興ボランティアに行った帰り、
レンタカーを借りて宮沢賢治と新渡戸稲造の記念館に行きました。

その際、新渡戸稲造記念館で感銘を受け、読んでみようと思いました。
が、一度少し読みかけるも、読まずに来てしまいました。

また、現在読みかけの本の著者が「武士道」を信奉しており、
その本が自分にとても響くところがあり、
やはり武士道を改めて学ばねばと思いました。

そしてさらに、私には武士の血が流れていることもあります。
もっとも、武家の家を受け継いでいるわけではないので
詳細は分かりませんが、
私の母方の祖母(明治生まれ)は武家の娘だったらしく、
母曰く、武家屋敷に住んでいたとのことです。

そんなこんなで、ようやく「武士道」を読み始めたところですが、
自分に限らず日本人には多かれ少なかれ
「武士道」の教え、道徳といったものが
備わっているのではないかと思います。

ただ、そういったものが失われつつあること、
そして、正しいこととわかってはいるものの
正しい行いができていない人が
私を含めて増えてきているのではないかと感じており、
今さらながら、学んでみたいと思っています。

では。

バカになる

L.P.です。国内出張などで少しさぼってしまいました。

私の人生でもっとも影響を受けた先生は小学校5,6年の担任のT先生です。

T先生はよく「バカになれ」と言っていました。

これは、遊ぶとき、レクリエーション活動をするときなどに
思いっきりバカになってやれという意味でした。

中途半端に恥ずかしい気持ちなどあると
思いっきり楽しめないので、
恥ずかしさを吹き飛ばすほど思いっきりバカになれ
という意味でした。

大人になるにつれてこういうことができなくなっている自分に気づきました。
周りが盛り上げているさなかに、
これを少し離れたところから冷静に、
少し冷めた目で見ている自分に気づきました。

きっと自分の中に心のバリアや抵抗や恥ずかしさなどがあると思います。

一方で、先日高校時代の親友達と飲んだ際は、
無意識のうちにというか
自然に「バカになっていた」というか
無理をすることなく、
自然に素のままに楽しんでいたら
結果的に「バカになっていた」という感じでした。

この違いはなんだろうか?

信頼関係、心を許せる関係、無防備に安心できる関係
こういったことかなと思います。

では。

価値観の相違

こんにちは、L.P.です。

昨日は、仕事か人かという迷いについて書きました。

今日は価値観の相違の迷いです。

例えばこんなときどうしたらいいのかといつも迷います。

実際にあるかどうかわかりませんが、、、

混んだ電車で窮屈に座っているとき、
日本人はおそらく隣の人にぶつからないよう
気を使って座ると思います。

一方、狩猟民族、多民族国家のアメリカ人の場合、
日本人からするとふてぶてしく足を広げて座ったりします。
(みんながみんなそうだとは思いませんが。。。)

ただ、アメリカ人の場合それが悪いことだと思っておらず、
もし、きついので足を閉じてくださいと言えば、
閉じてくれると思います。

つまり、相手がどう思うかについては、
人種も民族も違い、
それ以前に
他人がどう思うかなんて分かりっこないとお互い信じていれば、
相手がきついと感じているのではないかと下手に想像するより、
お互い自由に座って、
きつければお互いにそれを伝えて対応するという価値観で
社会が成立しているのではないかと思います。

きついと言って、お互い喧嘩になれば話は別ですが、
言われれば、お互い紳士的に対応するというのであれば
それはそれである意味では合理的ですよね。

で、これって逆に言うと、きついのにそれを言わないで
あとで文句言う人に対して、
言わない方が悪いということでもあると思います。

でも、アメリカ人が足を広げて
隣の日本人がきついと思っても、きっと言わないですよね。

で、この時って
言わない日本人が悪いの?
それとも、気を使わず足を広げるアメリカ人が悪いの?
って、思うんです。

まあ、第三者的には、
どちらも価値願が違うんだから
一概にどっちが悪いとも言えないよねってことになると思います。

でも、当事者だったとき、どうすればいいのでしょうか?

もしこれを議論すれば、
結局はどちらの価値観が正しいかという戦いになると思います。

すると、それって結論出ないし、
かといって、放っておくというのもなんだし。。。

ということで、こういう場合どうすればいいんだろうと迷ってしまいます。

では。

仕事か人か

L.P.です。

かねてよりどうしたらよいかはっきりわからないことのひとつに
仕事か人かというのがある。

つまり仕事より人間関係の方が大事ではないかと思う一方、
仕事においては仕事(プロジェクト)の成功が優先と考えている。

乱暴に言ってしまえば、仕事の成功のためなら
同僚にきついことを言おうが、
プライドを傷つけようが、
恥をかかせようが、
やむを得ないと思っている。

もちろん望んでやるわけではないし、
うまい言い方ができればそれに越したことはないが、
一朝一夕にうまくできるわけではない。

かといって、進行している仕事において
うまく言えるように成長するまで待つことはできない。

うまく言えないから「何も言わない」選択肢もあると思う。
しかし、仕事の成功のためには、
「何も言わない」ことは卑怯であり、
「言わなくてはならない」と考えている。

例え、相手が不快に思おうが、
自分に反感・攻撃が向けられようが、
義を貫くということは「言わなければならない」ことだと考える。

しかし、常にこれで正しいのだろうかと迷い、葛藤がある。
少なくとも、これで嫌な役回りを負うことになり、
相手にも不快な思いをさせ、
本当によかったのだろうかと思う。

このような場合、どうすればいいのだろうか?

正しいことをする その2

こんにちは、L.P.です。

先日「正しいことをする  Do the right things」を書きました。

「正しいことをする」って、当たり前ですよね。

でも、当たり前すぎてできていないし、
当たり前すぎるけど、大事なことですね。

今日、改めて思いました。

「リーダー」たる人、「リーダーシップ」を発揮する人、
これって、「正しいことができている人」ですよね。

そして、役職上「リーダー」というか「長」がつく人で
「正しいことができていない人」がいると
その組織はいい組織にはならないでしょう。

また、「正しいことをする」って、
当たり前だけど、勇気がいったり、恥ずかしかったり。

でも、リーダーが「正しいことをする」と、
自然とメンバーも正しいことをやりやすくなりますよね。
そして、みんなが正しいことをすると、
正しくないことをすることが、勇気がいったり、人目をはばかったり。

とっても当たり前のことを書いているけど、
当たり前のことを、当たり前に出来るようになりたい。
正しいことを当たり前に出来るように。

では。

力を抜くこと

こんにちは、L.P.です。

私は慢性的な肩こりである。
肩の筋肉はガチガチに硬い。

話変わって、合気道の稽古で最近よく指摘されることは、
肩に力が入りすぎているということ。

3段や5段の高段者の方から、
受け身を多くとるとよいとアドバイスを受ける。

息が切れるまで受け身を取る稽古をすると、
否が応でも力が抜けてくるというのである。

確かに。

一方、先日8段の師範(70歳以上)との会話で、
受け身がうまくなるということは、
技を掛けられる瞬間に、どの様な技かを瞬時に理解でき、
どのように受け身を取るべきかが分かることであると言われた。
瞬時に理解し、柔軟に受け身を取ることができる。

逆に言えば、どのような技をかけられようとも、
瞬時にどのような受け身も取れるという自信が
力の抜けた柔軟でリラックスし、平静な状態でいられる。

なるほど、奥が深い。

肩がこるということは、慢性的に緊張し、肩に力が入っている証拠。
どのような相手が、どのような態度で接してきても、
どのような非難、批判をしてきても
適切に対処することができるようになれば
おのずと力が抜けてくるのだろう。

力の抜けた(決して力が出ないということではなく力みのない状態)
平静で、リラックスした態度でいることが出来るようになれば
おのずと肩こりも治るのだろう。

単なる受け身だけれど、実に奥が深い。

では。

自我の弱点

こんにちは。L.P.です。

前から気づいてはいたのですが、
自分は批判に対して弱いです。

人から誤りを指摘されると
無意識のうちに非常な痛みを感じるようです。

相手は非難しているわけではないと思うのですが、
非難されているような思いにとらわれてしまいます。

すると相手に対する敵意や
自己弁護、自己正当化の思いが湧いてきて
相手に対する非難、攻撃、反撃の衝動に駆りたてられます。

自然体で受け止めて、
自然体で誤りを訂正し、反省する、
本当はただそれだけでいいのだと思います。

一応、これがわかるまでは成長したのだと思います。
が、自然体にはなれません。。。

まだまだ自我が脆弱なんだと思います。

では。

知ること

L.P.です。ひとまず継続できました(笑)。

頭で分かっているのに、体で分かっていない。

頭で分かっているのに、実際にそうできない。

自分が成長できないと思っていることの一番の原因だ。

では、ひとまず分かったからできてきたこともあるように思う。

少なくとも知らなければできないだろう。

その意味では、まず知ることは大事だと改めて感じる。

では。

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           L.P. (Learning Process)             

Author:           L.P. (Learning Process)             
日々、自分の人間性を高めていくために奮闘している中年男です。

2007年、会社でパワーハラスメントを受け、カウンセリングに通う。
これを機に自分を見つめ直し、カウンセラーから教わったT/A、アサーションをきっかけに様々な心理学、自己啓発を学び、元気を取り戻す。
自己啓発、心理学、スピリチュアルなど様々なセミナー、様々な本を読み漁るも、全く成長の実感がつかめず歳だけを取っていく。
8年後の2015年、ほんのわずかながらも成長を感じると同時に、改めて非常に時間のかかるラーニングプロセスであると実感し、今日も目に見えないながらもわずかな成長を信じて、日々のラーニングプロセスを記録としてブログに刻む。

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