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身を修める

L.P.です。

最近、身を修めることの重要性をひしひしと感じます。

この9年間、どのように自分を磨いていこうか、
人間性を高めていこうかと
自分なりに努力してきたつもりです。

何をしてきたかというと、

心理学
コーチング
成功哲学
スピリチュアル

など、勉強してきました。

それはそれで重要なことで、
それがあって、今の自分があると思っています。

といっても、ようやくスタートラインにつく
準備が整ったというレベルですが。

この勉強によって、

こころのしくみ
精神のしくみ
人間の力が及ばない大いなる力のしくみ

など、基礎的な知識を多少学ぶことができました。

こういった基礎を学び、スタートラインに立った今、
改めて身を修めることの重要性、
これこそが人生の修行であり、
自分がこの9年間求めてきた
自分を磨くことや人間性を高めることへの
具体的方法論だと理解することができました。

いくら数学の方程式を覚えても
ハーバードMBAで経営理論を学んでも
立派な生きた経営者になれるわけではありません。

しかし、基本的な方程式や理論を知らなくては
経営者は務まりません。

教育学部を出ても
いい先生になれるわけではありません。
しかし、教育理論や指導要領を知らなくては
先生は務まりません。

その意味から、最近ようやく基本的なことが分かり、
今後、何をするべきかがわかってきたように思います。

それこそが、まさに「身を修めること」です。
そしてこのことは、最近何度も繰り返す、
「当たり前のことを当たり前に正しくすること」
です。

また、身を修めるためには、
古来より伝わる叡智を学ぶことだと思います。

現代の我々にとっては新渡戸稲造の「武士道」もそのひとつです。
そして、中国古典の四書五経もです。
論語、大学、中庸、孟子の四書は名前をきく人は多いと思いますが、
実際に読んだことがある人はさほど多くはないのではないでしょうか。

今日、中国人の同僚に聞いたところ、
中国でもこの100年は勉強されなくなったとのことです。
日本でも同じではないでしょうか?

幕末の志士達は剣術を磨くとともに、身を修め、学問を修めていました。
学問とはこれら古典なのです。

積読の山が大きくなる一方にもかかわらず、
論語の入門書などいくつか注文してしまいました。

今後は身の修め方を学ぶべく、古典も勉強しつつ、
身を修める修行を積んでいきたいと思います。

では。

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人望

L.P.です。

最近の趣味と言いますか、何と言いうか、、、

「本探し」

です。

全く本を読んだことのなかった昔に比べれば、
圧倒的に本を読むようになりましたが、
でも、読むのははやり苦手です。

知識欲はあるので、読みたい気持ちはありますが、
読むのが遅いのでなかなか読めません。。。

にもかかわらず、Amazonとは便利なもので
類似の本がいろいろ出るので
いろいろと興味があるものを芋づる式に調べます。

特にレビュー数が多いものにいつも注目します。

今日見つけた本はそのうち読むことになったらご紹介しますが、
「人望」についての本です。

レビューを読んだだけですが、ここに惹かれました。

「人望とは、高次の常識を実践していること」

とのことです。

これって、最近もっともはまっているというか、
心に響きまわっている

「正しいことをする」

と同じ意味ですよね。

正しいことができないリーダー。
正しいことが通らない組織。

最悪ですけど、ある意味どこにでもあることですね。

だからこそ、

「正しいことをする」
「当たり前のことを当たり前にする」

そのことができるよう、心がけていきたいと思います。

では。

バカになる

L.P.です。国内出張などで少しさぼってしまいました。

私の人生でもっとも影響を受けた先生は小学校5,6年の担任のT先生です。

T先生はよく「バカになれ」と言っていました。

これは、遊ぶとき、レクリエーション活動をするときなどに
思いっきりバカになってやれという意味でした。

中途半端に恥ずかしい気持ちなどあると
思いっきり楽しめないので、
恥ずかしさを吹き飛ばすほど思いっきりバカになれ
という意味でした。

大人になるにつれてこういうことができなくなっている自分に気づきました。
周りが盛り上げているさなかに、
これを少し離れたところから冷静に、
少し冷めた目で見ている自分に気づきました。

きっと自分の中に心のバリアや抵抗や恥ずかしさなどがあると思います。

一方で、先日高校時代の親友達と飲んだ際は、
無意識のうちにというか
自然に「バカになっていた」というか
無理をすることなく、
自然に素のままに楽しんでいたら
結果的に「バカになっていた」という感じでした。

この違いはなんだろうか?

信頼関係、心を許せる関係、無防備に安心できる関係
こういったことかなと思います。

では。

価値観の相違

こんにちは、L.P.です。

昨日は、仕事か人かという迷いについて書きました。

今日は価値観の相違の迷いです。

例えばこんなときどうしたらいいのかといつも迷います。

実際にあるかどうかわかりませんが、、、

混んだ電車で窮屈に座っているとき、
日本人はおそらく隣の人にぶつからないよう
気を使って座ると思います。

一方、狩猟民族、多民族国家のアメリカ人の場合、
日本人からするとふてぶてしく足を広げて座ったりします。
(みんながみんなそうだとは思いませんが。。。)

ただ、アメリカ人の場合それが悪いことだと思っておらず、
もし、きついので足を閉じてくださいと言えば、
閉じてくれると思います。

つまり、相手がどう思うかについては、
人種も民族も違い、
それ以前に
他人がどう思うかなんて分かりっこないとお互い信じていれば、
相手がきついと感じているのではないかと下手に想像するより、
お互い自由に座って、
きつければお互いにそれを伝えて対応するという価値観で
社会が成立しているのではないかと思います。

きついと言って、お互い喧嘩になれば話は別ですが、
言われれば、お互い紳士的に対応するというのであれば
それはそれである意味では合理的ですよね。

で、これって逆に言うと、きついのにそれを言わないで
あとで文句言う人に対して、
言わない方が悪いということでもあると思います。

でも、アメリカ人が足を広げて
隣の日本人がきついと思っても、きっと言わないですよね。

で、この時って
言わない日本人が悪いの?
それとも、気を使わず足を広げるアメリカ人が悪いの?
って、思うんです。

まあ、第三者的には、
どちらも価値願が違うんだから
一概にどっちが悪いとも言えないよねってことになると思います。

でも、当事者だったとき、どうすればいいのでしょうか?

もしこれを議論すれば、
結局はどちらの価値観が正しいかという戦いになると思います。

すると、それって結論出ないし、
かといって、放っておくというのもなんだし。。。

ということで、こういう場合どうすればいいんだろうと迷ってしまいます。

では。

知ること

L.P.です。ひとまず継続できました(笑)。

頭で分かっているのに、体で分かっていない。

頭で分かっているのに、実際にそうできない。

自分が成長できないと思っていることの一番の原因だ。

では、ひとまず分かったからできてきたこともあるように思う。

少なくとも知らなければできないだろう。

その意味では、まず知ることは大事だと改めて感じる。

では。

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           L.P. (Learning Process)             

Author:           L.P. (Learning Process)             
日々、自分の人間性を高めていくために奮闘している中年男です。

2007年、会社でパワーハラスメントを受け、カウンセリングに通う。
これを機に自分を見つめ直し、カウンセラーから教わったT/A、アサーションをきっかけに様々な心理学、自己啓発を学び、元気を取り戻す。
自己啓発、心理学、スピリチュアルなど様々なセミナー、様々な本を読み漁るも、全く成長の実感がつかめず歳だけを取っていく。
8年後の2015年、ほんのわずかながらも成長を感じると同時に、改めて非常に時間のかかるラーニングプロセスであると実感し、今日も目に見えないながらもわずかな成長を信じて、日々のラーニングプロセスを記録としてブログに刻む。

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