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こころの静まり

瞑想をして実感したことの一つに

「こころの静まり」

があります。

逆に言うと、人間はこれほどまでに常に雑念にさいなまれているのかということを実感しました。

瞑想合宿の最初の3日間くらいは、目を閉じて瞑想しているものの、集中することはできず、四六時中、本当にどうでもいいことばかり考えていました。

クリスマスも正月も棒に振って、一体自分は何しに来ているんだろう、もう帰った方がいいんじゃないかとすら思いました。

日ごろ悩んでいることを考えるならまだしも、そういうことはなく、本当にどうでもいいことばかり考えていました。

合宿が終わったら、誰に年賀状を書かなくてはいけないなど。挙句の果てにはなぜかガンダムの一シーンが突然思い出されたりと、良くもここまでどうでもいいことばかり浮かんでくるなとあきれるばかり。

しかし日が経つにつれ、次第に雑念が減っていき、瞑想に集中できるようになってきました。

これはまさに「こころが静まる」という感じでした。

すると、瞑想も比較的すぐ深い瞑想状態に入っていけるようになってきました。

ちなみに、合宿中は会話のみならず、すべてのコミュニケーションが堅く禁じられています。この戒律はもっとも重要だと言われましたが、確かにその通りだとおもいました。

しかし、家に戻って自宅で瞑想すると、やはり外部の雑念が多いせいか、なかなか深い状態に入っていけません。

やはり下界で平静な状態を維持するには、瞑想を続けていかないとダメなようです。
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テーマ : 自己探求 - ジャンル : 心と身体

念じて手放す


先月インドネシアに行った際、屋台が並ぶ通りを歩いていると突然「Enak!(美味しい)」というインドネシア語が出てきた。

ほんの片言だけインドネシア語をいくつか知っていて、今回3年ぶりにインドネシアに行き、レストランで「美味しい」と言おうとした際に「Enak」が出てこなかった。

そして、その数日後、通りを歩いている際、突然「Enak!]となったわけだ。

さて、瞑想を学んで驚いたことの一つに「渇望」が良くないというか、心地よい感覚を望むことが渇望であるというものだ。

しばしば、成功哲学といわれるものやポジティブシンキングと言われるものでは、幸せな状態や、お金持ちの状態など望むわけですが、これは渇望であり、欲望に執着しているとしています。

つまり、執着を手放して、平静な状態でやるべきことをやる、そして結果は望んだわけではないがついてきたというのがいいようです。

昔、玉川一郎先生の勉強会で面白いたとえ話を聴いた。

飼い猫に膝に乗れと言っても、気まぐれな猫は来ない。

しかし、膝に乗れと思って、すぐにそれを手放すと猫は来るのだと。

人間というか動物とは不思議なもので、来いと命ずれば、来たくなくなる。

合気道も同じような考えに基づいて体を動かしていく。というか相手が動きたい方向に動いていき、相手に合わせていく。

つまり、物事に執着し、意地でもやってやるぞと思っていると意外と出来ない。

ただ、何も考えていなければ何も出来ないわけなので、

おそらく、「やるべきこと」を念じたうえで、それを手放し、執着せずに、「平静」な状況で取り組むとおのずと結果がついてくるのだと思います。

「Enak」も一度レストランで「美味しいってなんだっけ?」と念じたのち、すっかり忘れたころに、レストランの前を通って「Enak!]となったのだと思います。

まだよくわかっていませんが、目標は持つものの、固執せず、平静な状態で取り組むことが大切なんだと思います。

テーマ : 自己啓発・能力開発 - ジャンル : 学校・教育

ヴィパッサナ瞑想

新年明けましておめでとうございます。

今年の、というか、これからの目標・テーマは

去年10月に八ヶ岳で受け取った

分かち合い

そして、

「あるがままに(As it it.)」

です。

「あるがままに」というテーマは、年末年始にかけて参加した12日間の瞑想合宿で受け取ったものです。

この瞑想合宿はヴィパッサナ瞑想というものです。

合宿では、朝4時起き、1日10時間ひたすら瞑想し、一切の会話が禁止されています。

この瞑想方法は、ブッダが悟りを開いた際のもので、心を平静な状態にし、すべての物事をあるがままに受け止めるようになること、そしてすなわち、それが最終的に解脱すること、悟りを開くことにあります。

この基本的な教えというか考え方として、人間には「渇望」と「嫌悪」があり、渇望を望まないこと、また嫌悪を避けようとしないことが平静であるとしています。

嫌悪を感じること自体は悪いことではないのですが、これを避けようと「反応すること」によって苦痛を生むとしています。

つまり、嫌悪による苦痛は自らが反応すること、抵抗することにより、自らが生み出しているとしています。

同様に、渇望はこれをさらに臨むこと、常に臨むことという反応により、車が欲しいと望み、その望みがかなっても幸せにならず、次には家が欲しくなりという具合に、終わりなき欲望により常に満たされない苦しみを得るとしています。

そして、瞑想を続けることにより、これら渇望と嫌悪に反応せず、全てをあるがままに平静な状況で受け止めるようになり、こころの平安を得るとしています。

分かりやすい効果として、何度も参加している参加者が口にするのは、「怒れなくなる」というものです。

怒らなくなるのではなく、怒れなくなるというのです。

私も若干そんな感じがしますが、まだそれほど実感として感じていません。

ただ、唯一実感というか、明確に分かる症状として、ちょっと変な話ではありますが、

「性欲がなくなる」

という症状が現れました。(病気かなとも心配しているのですが。。。)

つまり、私の中の渇望を生む部分が多少なりとも浄化されたのだと思います。

とはいえ、瞑想は基本的に毎日続けていくことが大切とのことです。

また、人によって長年原因不明の首の痛みが消えたりなどと明らかな効果が出る場合もあれば、目に見えるほどの効果が出ない場合もあるようですが、10年来参加している人の言葉を借りれば、瞑想を続けることにより、こころの中のエゴ・カルマの薄皮を一枚一枚はがしていくとのことで、少しずつそして着実に変化しているとのことです。

ということで、今後も瞑想を続けていきたいと思っています。

そして、この一年、

あるがままの1年をあるがままに受け取っていきたいと思います。

では、今年もよろしくお願いします。

L.P.



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           L.P. (Learning Process)             

Author:           L.P. (Learning Process)             
日々、自分の人間性を高めていくために奮闘している中年男です。

2007年、会社でパワーハラスメントを受け、カウンセリングに通う。
これを機に自分を見つめ直し、カウンセラーから教わったT/A、アサーションをきっかけに様々な心理学、自己啓発を学び、元気を取り戻す。
自己啓発、心理学、スピリチュアルなど様々なセミナー、様々な本を読み漁るも、全く成長の実感がつかめず歳だけを取っていく。
8年後の2015年、ほんのわずかながらも成長を感じると同時に、改めて非常に時間のかかるラーニングプロセスであると実感し、今日も目に見えないながらもわずかな成長を信じて、日々のラーニングプロセスを記録としてブログに刻む。

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